碌でなしLIFE

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ツノ

 「できものができてしまいました。二つも。」
時候の挨拶などもなしに、唐突にそんな報告から始まる手紙は、真っ白な紙に向日葵の花があしらわれた便箋に書かれていた。流行り物が好きな彼女は、昨今の文通の再流行に便乗して、文通のための全ての工程を楽しんだことだろう。下書きしたに違いない、書き損じのない文章は、一文字一文字最後まで丁寧に書かれており、彼女のそんな部分を好ましく思っていたことを思い出す。書店で楽しげに便箋を選ぶ彼女の姿が浮かぶ。もちろん切手も封筒も向日葵のデザインのものを使っていて、彼女がこの文通を存分に堪能していたことがうかがえる。
 
 彼女から来た手紙は、もう一つある。
その手紙は、同じ向日葵の便箋に書かれていて、しかし季節は冬であった。文字は荒々しく、二重線で消された箇所がそこかしこにあった。
私は、この手紙こそ、彼女の本性なのだと思う。
 
 先ほどまで、手紙が閉まってある抽斗を開けるのが、地獄の門を開くことのように思えていた。
抽斗の取手は死神の鎌のように冷え切っていて、私を怯えさせた。なのに今はどうだろう、彼女とスイカ割りをした夏の日を思い出している。彼女の下宿先を訪ねた夏の日を思い出している。そして、自分の人間らしさに満足している。人間らしく心を痛めていることに、安心している。
 
 死にながら生きているような私にとって、それは久し振りの確かな感情であった。
 

 できものができてしまいました。二つも。
額の、ちょうど眉の上。その位置はほとんど左右対称であると思われます。よく見ると、私から見て左のほうがやや上にあります。ある朝目覚めたら、ちょこんと2つできておりました。ひどく赤く、触ると痛いできものでした。
 
 しかしその日、家を出る頃にはもう忘れておりました。その程度のものでした。私にとってみれば、口内炎の方がよっぽど大きな存在感を放ちます。さして気にも留めなくなりました。
姉さんの肌はいつも白く綺麗でしたね。できものができたことなどなかったのではないでしょうか。私は高校生の頃、おできには度々悩まされました。大学へ入学してからは落ち着いていたのですが、夏の汗が原因でしょうか、とにかく2つもできてしまったのです。
 
 以前、こちらにいらしてくださった際のことを、覚えていらっしゃるでしょうか。
あの時はたくさんお話ししましたね。姉さんは、私の新生活への愚痴や不満をすべて受け止めてくださいました。その節はありがとうございました。あれからもう3か月経ちました。年々月日が過ぎるのを早く感じるようになります。
私はまだあのバドミントンサークルを続けています。姉さんは、すぐに飽きてしまうのではないのとか、お酒の席は気をつけてねとか、おっしゃっていましたが、最初からつい昨日の活動まで、ずっと楽しいものです。
お友達もたくさんできました。学科のお友達もおりますが、やはりサークルのお友達と過ごす時間の方が格別に楽しいものです。同輩のお友達のみならず、近頃は先輩方とも仲良くなりました。幾人かの先輩方は、活動の後私達後輩を連れ立って美味しいご飯のお店に連れて行ってくれるので、私もこのあたりの美味しいお店に詳しくなりました。次回いらした時は楽しみにしていてくださいね。
 
 その親切な先輩方のうちの一人が、これからお話しする先輩です。私がこのお手紙をお送りしたきっかけとなった方です。
 
 「あらら、痛そうだねえ」
そう言って先輩は私のおでこをちょこんと小突きました。それはおできができてから数日経った、大学構内での出来事です。一瞬、何に対して痛そうとおっしゃっているのかわかりませんでした。でもすぐに、おでこのことを思い出して、慌てて手のひらで隠しました。先ほど、ほとんど気に留めていなかったと申しましたが、はっきり申し上げましょう。
その瞬間まで私は、おできが恥ずかしいものであると感じてはいませんでした。恥ずかしく感じる人がいることは知っていました。私の友人でひどく気にされている方がおりましたから。でも、私自身がそれを恥じるにふさわしい物体だと認識していませんでした。なぜ友人が憂鬱そうにおできに触れるのか、私は理解していませんでした。私にもこれまでに幾度かできものができたことがありましたが、それについて悩まされたことは一度もありませんでした。
しかし、あの瞬間。先輩が私のおできを見ているのだと気付いた瞬間。恥ずかしくて恥ずかしくてたまりませんでした。顔を覆うか、背を向けるか、穴を掘って潜るか、3つの選択肢が脳裏をよぎりましたが、私は動けませんでした。そんな私に、先輩はさらに追い討ちをかけるのです。
「角のようだねえ」
角。よりにもよって、角とは。
ついつい恨みがましく先輩を睨んでしまいました。すると先輩は私の顔を見て失言に気づかれたご様子で、慌てて弁明を始めました。
「いや、違うんだよ。大きさのことを言っているわけじゃなくてね」
などと言い訳じみたことをおっしゃりました。そこへ、先輩と仲の良い別の先輩方がやってきて言います。
「おやまた、いじめてるのかよ」
「なにを言われたの」
「先輩が、おでこのニキビが角のようだって」
「ははははは」
最悪です。その別の先輩方は大きく笑い出したのです。
そのくせ、思いっきり笑った口で、
「そんなこと言うなんてひどいじゃないか、」
なんて、先輩一人を悪者にしておっしゃるのです。
 
それからというもの、私は取り憑かれたようにおできのことしか考えられなくなりました。
おできと、先輩のことです。
 
世の中は心配すればするほど悪い方へ進むようにできているのでしょうか。おできは一向に消える気配を見せません。もう出来てから一月ほど経ちますが、未だに大仰に私の額に鎮座しています。昨日ついに、前髪を作りました。
サークル活動へは、その後も欠かさず参加しています。いますが、頭を占めているのはラケットでもフォームでも試合結果でもなく、おできと先輩だけです。
毎日が苦しく、困難です。
今は夏休みだから、脳の容量を勉学へ割く必要はありませんが、それでも手一杯です。
 
この気持ちをなんと呼べばいいのか、私は知っているような気がします。それでも、何もわかりません。この苦しみから逃れるために、何が必要なのか。何をしなくてはいけないのか。
姉さんならご存知でしょうか。きっとご存知なのでしょうね。
 
また会える日を楽しみにしています。
 

 お久しぶりです。
寒い日が続きますが、お元気ですか。
お正月は実家に帰らないことにしました。姉さんもきっと帰らないでしょう。
前の手紙でお話ししたおできがついに取れました。本当に、まるでツノのようでした。
 
 お伝えしていないなかったことがあります。
先輩と二人きりでお食事に行きました。何度もです。最初は、前のお手紙を送る一月前のことです。オデキができた後。食事の後、先輩の家にお邪魔することが増えました。私と先輩だけでです。これも、もう両の手では足りない数になります。
姉さんに相談しようとしてあの手紙を書いたはずなのに、なぜでしょうか。綺麗なだけの手紙が出来上がっていました。ごめんなさい。
 
 もう一つお伝えしなければならないことがございます。
先輩には、お付き合いをされている女性がいらっしゃいます。その方は先輩の同じ学科の方らしく、一度お見かけしましたが、大変綺麗な方でした。背が高く、髪は黒く長く真っ直ぐで。私は詳しく知りませんが、周りからも祝福されていたように思います。
なのにどういうわけでしょうか、先輩は私を食事に誘いました。最初は戸惑いました。でも先輩は言いました。理由があるからいいんだよと。学年代表としての私の仕事ぶりをねぎらうため、あるいは、同じ学科の後輩に良いアドバイスをするため。食事の誘いはいつも尤もらしく、それでいて密やかに交わされました。三度目の二人きりの食事の後、先輩の家で飲みなおすことになりました。私は、その時これから何が起こるのかわかっていたように思います。だけど何も言いませんでした。先輩に恋人がいることも知っていました。でも、何も言えませんでした。
姉さん、私は悪い子です。姉さんはきっとご存知でしたね。
 
 先月のことです。
あの日は、私が先輩の家で手料理を披露する予定でした。手料理を振舞うことももう三度目でしたが、先輩は全てに美味しいと言ってくれます。先輩は私より悪い人でした。先輩の家には、多くの汚いものが隠されていました。中には先輩の知らないものもあったでしょう。しかし、私は既に見慣れていました。私は度々、先輩の恋人さんのことを思っては、かわいそうだと嘆きました。きっとこの家に来たことがないのでしょう。そうやっていい子ぶっていました。
 
あの日の夜、先輩は私に、好きだよと言いました。
その瞬間、全身を巡る血が沸き立ったように感じました。視界の端に銀色に光る何かが写ったことも覚えています。
 
そのあと私に何が起きたのか、未だにわかりません。叫んでいました。頭をかきむしっていました。両手は真っ赤でドロドロで、口の周りはよだれと血でぐちゃぐちゃでした。
でも、あの時からずっと、ツノが生えてからずっと、私は冷静です。
さっきまで冷静に、穴を掘っていました。
 
姉さん、私はきっと、もう人間ではないのです。
このツノは、生えるべくして生えたのです。
私は、人の肉を喰らう鬼だったのです。
食い尽くしたから、このツノは取れたのです。
 
私はこの手紙でも、書きたいことを書くことができないでいます。
姉さん、どうかお元気で。
 

 
 両親から妹の所在について尋ねられてすぐ、二通の手紙を思い出した。それまですっかり忘れていた。手紙のことだけではない、私に妹がいたこと自体。電話で、妹の存在を忘れていたことを思い出して、私はまた自分を嫌いになった。
妹は家賃を八ヶ月滞納していたらしい。大学に問い合わせると、しばらく講義を欠席していたようで、留年は免れないとのことだった。相手の男性の消息を調べようかとも思ったが、やめた。どちらの結末にせよ、正しい反応がわからなかったからだ。
両親からのしばらくぶりの電話で、ろくな挨拶もなしに妹について尋ねられた私は、果たして悲しかっただろうか。
以前妹から二通の手紙が来たこと。それらは、どちらもとある男性について書かれたものであること。妹はひどく悩んでいる様子であったこと、何かが起き、そして何らかの決断を下したこと。手紙を見せずとも、これらのことは伝えるべきだったかもしれない。私は何も知らないと答え、心配だと付け加えた。
 
 一通目の手紙はちょうど一年前に届いていた。
年の離れた妹の、華やかな大学生活を綴っているであろうその手紙を、私はなかなか開けることができないでいた。それでもようやく開封できたのは、夫が気まぐれに買ってきてくれた向日葵の花が、思いがけず可愛らしかったからだ。
 
手紙を読んで、私はすぐに返事を書こうと新しい便箋を用意した。近所の書店の棚から、ティーカップが描かれたものを選んだ。どうせ書く相手は妹しかいないのだから、季節感のないものがよかった。
返事の内容には苦労した。
年上の女性から、恋の病に苦しむ少女にかける言葉は、いったい何が正解なのだろう。馬鹿馬鹿しい、何が「きっとご存知」なのだろうか。悩んだ私は、先輩はきっとあなたのことが好きですよなどと空々しい言葉を書くことはできず、かといって生真面目に他人の色恋の不毛さを説くこともできず、楽しい時間を過ごしているようで私も嬉しいですがほどほどにしておくのが良いですよ、などと陳腐な言葉を並べた手紙を返したように思う。
 
 それから数ヶ月後、二通目の手紙が来た。
普通切手が数枚貼ってある封筒には、何か固形物が同封されているようだった。郵便受けの前ですぐに開けたことを覚えている。
 
その手紙には確かに、角が二本同封されていた。生成り色をして、長さは親指の第一関節ほどあった。歪で、傷が所々あって、野生的であった。何かの動物の角のようにも感じられたが、あのような角を生やす動物を私は知らない。あれが妹の額から伸びていたら、さぞかし似合っているような気がした。大きさも色も形も、妹の顔に合うように作られたかのようであった。それとも、本当に妹の額に根差していたのだろうか。
 
 私はこの手紙に対する返信を書いていない。
読んだ後、返事を書こうと思ってティーカップ柄の便箋を取り出した。でも書かなかった。
夏らしい豪雨に見舞われた、あの日の午後はなぜか記憶によく残っている。
便箋を用意した私は、湯を沸かして紅茶を入れた。机で作業する際には必ずと言っていいほど飲む紅茶。一口飲んで、違和感を覚えた。いつも飲んでいる味なのに、なぜかその日は物足りないと感じた。それでふと思いついて、ミルクと砂糖をそれぞれスプーン3杯いれて、妹が好んでいたような味にした。
乳白色をした紅茶を見た。
濁る液面に映る顔を見た。
「姉さんは大人ですね」
と笑う妹を思い出した。
それで、紅茶は捨ててしまった。
それきり手紙と便箋は抽斗の奥にしまいこんで、忘れたつもりでいた。
忘れたつもりでいたら、本当に忘れることができた。
 
私は今、夫と二人で暮らしている。毎日が穏やかに過ぎる。それに満足を覚えている。
静かな生活だ。本当に、静か。
まるで死んでいるよう。いやきっと、生きているように死んでいるのだ、私たちは。
それでも、たまに生を思い出す。感情の起伏を感じる。
ちょうどこの手紙のように、私の体を業火さらす。
雷の音に胸が高まるのは、人間の本能だろうか。
豪雨に身を投げ出し叫びたくてたまらない夜は、誰にでも訪れるものだろうか。
静寂に支配された私たちの家は時々、私を私で無くさせるくらいの凶暴な気持ちを生み出す。
しかし私の額に、ツノの生える気配はない。
彼女は獣として生き、私は人間として死んだ。
 
妹の所在は未だ不明のままである。